みことの日記

2015年8月長男、2017年9月次男 育児の記録

11 最終出勤日

 私のはたらく職場では、出産予定日の八週間前から産前休暇がとれる。有給とか夏休みとかもあるにはあったけれど、それらは使わないことにして、7月の頭まで出勤した。
 長いこと休みを取るなんて初めてで、おまけに自分がいつ戻ってくるかも分からない。
 どのくらい片付けをしたらいいのか? 私物は全て持って帰るのか? 引き継ぎは? パソコンの中のデータは?
 部署異動ともまた違うそれらのことを、重い身体とふわふわした心で、最後の二週間くらいかけてこなした。

 

「代わりの人がねえ……決まってないのよね」
 リーダーのゆうこさんに呟かれたのは、私が休むまであと三日、といった日のこと。
「え、まだなんですか?」
「そうなのよ。経験者の人がきてくれるなんて高望みはしてないけど、候補の人すら見つかってないらしくて」
 私の職場には「産休等の穴埋め要員リスト」といったものが存在し、実際欠員が発生するときには、そのリストに登録してある方に声をかけていく。
 しかし、リストを何枚繰っても、「ほかのアルバイトをしている」とか、「期間が希望にあわない」とかで、「採用面接を受けてくれる人」すら見つからないというのだ。
「おまけに、あのリスト、若い人なんてほぼありえないでしょ。もう女性どうしのトラブルなんてごめんだし、かといってオジサンてのもね……まあ、しょうがないんだけどね」

 

 今の部署で私がやっているのは、債権回収とか督促といった、ある意味汚れ仕事だ。電話口でどなられること、訪問して居留守を使われること、窓口で小一時間とっつかまり苦情を聞かされること……どれもこれも日常茶飯事。スキルはともかく精神的なタフさをある程度要求され、「合わない」と言って悩む人も多い。
 だいたいの人は若いうちに配属されて適性のある人がその後も続けることになるので、年齢を重ねた人がいきなり来て、こんな仕事はできない、と辞められてしまうことへの危惧はわかる。
 さらに。「もうトラブルはこりごり」なんていう、ゆうこさんの気持ちも痛いほど。

 

 ゆうこさんをリーダーに据えた私の班は五人編成なのだが、誰も彼も、問題児だらけなのだ。
 一人は、病気がちで休みがち、病状の問題で債権回収の仕事はできません、という女性。(じゃあ仕事中なにをしてるのかというと、部署内の雑用とかをやっている。)
 もう一人は、この春数年のブランクを経て異動してきたばかりの、愚痴の多い男性。(ひとり言かとおもって聞き流していると、しっかり話しかけられてたりするので要注意。)
 さらに、ぴかぴか社会人の、新採用の男の子。
 あと、部署内のこまごました雑用担当の、気難しい性格のアルバイトさん。(まさかの雑用担当ふたりめ。)
 そして、私。とりあえずここ数ヶ月は、やれ頭が痛いお腹が痛い朝から吐いてる病院へ行ってくると言っては、休んでばかりいる。

 

 そうはいっても……いや、けっして自分の力を過信しているわけではないのだけれど、休むまでの数週間、どう考えてもうちの班の「戦力」もゆうこさんの「話し相手」も、私ひとりしかいなかった。
 おじさんも新人くんも仕事を覚えるので手いっぱい。他の二人は仕事内容が違う。とりあえず、「お荷物を残さないように……!」という一心で頑張った。話の通じない新採用のさとだくん (なんか受け答えが軽いんだわ) への教育も、女性陣との罪のないおしゃべりも、オジサンの愚痴への応対も、その他自分の仕事のいろいろも。
「明日には産まれちゃいそうねー!」と言われ続けた腹を抱えて、汗をかきかきフロアを駆けずり回り、外回りをしては会う人会う人に「え、そのお腹で仕事? ていうかスイカ?」とニコニコされたりぎょっとされたり。

 

 そんなことをしていたら、あっという間に最終出勤日になった。
 挨拶ってどのくらいするのかな? 誰までするのかな? とかそういうこともよくわからず、とりあえず実家に帰ったときにみんなに配るお菓子だけは買って、持って行った。
 課長に連れられて、隣の課やもっとえらい人のところも含めて、「お世話になりました」とぐるぐるご挨拶して回った。
「もう会えないな! 元気でな!」と握手してくれる人もいれば(なかなか異動の多い組織なのだ)、「絶対また一緒に仕事をしましょうね」と言ってくれる人もいた。しばらく会えないんだなと思うと、誰もかれも、もうちょっと飲み会とか行っておしゃべりしてみたら良かったかもしれないな。もしかしたら、気づいてないだけで、すごい面白い人とかたくさんいたのかもしれないななんて、詮無いことを考えた。

 

 課長と別れて、自分の座席に戻る。帰り支度を済ませて、あとは自席の周りの人たちへの挨拶を残すばかり。
 ところが、そこでトラブルが発生した。
「なんでこんな仕事までやらなくちゃいけないんだ。マニュアルすらないし。だいたい、リーダーが断るべきじゃないのか?」
「そうは言っても……元からうちの班に割り当てられてた仕事ですし」
「それがおかしいっていってんだよ。その時やるはずだった人間が今できなくなってんだろ。だからってどうして、班の中だけで人員融通しなくちゃならないんだ」
 聞かずとも、詳細は察せられた。
 最近まで病気がちの女性がやっていた仕事があったのだが、いよいよそれも「私には無理です!」という申し立てがあったため、オジサンに割り振られることになったのだ。……というか、私はいなくなるし、さとだくんは別の仕事が振られているしで、オジサンしか候補がいなかった。
 別に難しい仕事ではないのだが、面倒くさいは否めない。ちゃんとしたマニュアルがないのも本当だ。
 おまけに、他班の方が人手があるにも関わらず同様の仕事が存在しないため、分担が変だという主張も、至極もっともだった。
「相談はしましたけど……結果うちの班でってことになったので、お願いしたいんです」
「だって、どう考えたっておかしいだろう。班長が当然みたいに受け入れちゃって、どうするんだよ」

 

 ……私の終業時間はとっくに過ぎていた。しかし「帰ります」と切り出せる雰囲気ではない。言い分に口もはさめない。手持ち無沙汰に荷物をいじるしかなかった。
「もう、なんなんだよ!」
 最後の最後、ついにオジサンが爆発したところで、ゆうこさんは、ぱーっと部屋を出て行ってしまった。
 なんだかとっちらかってしまったが、このタイミングを逃すわけにはいかない。
 そそくさと挨拶をし、二人の修羅場を見ていなかった他班の人たちになぜか「おめでとう!」と万歳三唱され(妊娠してなかったら胴上げされてた気がする)、ようやく通い慣れた部屋に別れを告げることができた。

 

 ゆうこさんは、廊下の隅の人目につかないところに、ハンカチを片手に立っていた。
「もうダメね、こんなんじゃ……こんな風だから、『だから女は』とか言われるのよね。みことさんの最後の日なのに、ごめんなさいね」
「いえ、そんなこと……」
「仕事の分担については、何度も申し立てしてたのよ。人員の配置換えも。梨のつぶてだったけどね……それに、皆さんの前で『私はちゃんとやってますから』なんて言うわけにもいかないし」
 ゆうこさんは、今回のあれこれについては上層部に心底失望しているのだ、と言った。産休の代替要員がまだ見つかっていないことは置いておいても。
 私はこれまで仕事について、いくら周りがどうしようもない人だらけだろうと、そこは適当に流しつつ自分に与えられた仕事をちゃんとこなせばいいじゃないか、と思っていた。
 しかし、それは下っ端だからそれでいいのであって、「どうしようもない人たちを統率して仕事をさせる」ことまで仕事に含まれているリーダーに、そんなことは許されないのだ。

 

 その後、一時間くらいかけて二人で、女性が働くことの難しさや、特に上の職位になると男性ばかりの職場の中で巧くやるのがいかに困難かとか、そういう話をゆっくりとした。自覚せずに今まで勤めてこられた自分は、もしかしたら、世代のおかげではなく単なるラッキーで、これからはそういう辛さにもまれながら仕事をしていくことになるのかな、とうっすらだけれど思った。

 

「とにかく、明日からは仕事のことなんて一切忘れて、元気な赤ちゃんを産んでくださいね」
「もちろんです。産まれたら連絡します、頼りにしてます」
 最後は、笑顔で見送ってもらった。
 はやくゆうこさんの喜ぶ顔がみたいななんて思いながら、つらい状況の人をひとりで置き去りにしていくみたいで正直しんどい思いもあったけれど、もうじき始まる新しい日々に、胸がどきどきしていた。

 

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