みことの日記

2015年8月長男、2017年9月次男 育児の記録

8 妊娠中期

「ある日君は夏の終わりの台風のように過ぎ去って、そこには気持ちのよい一陣の風が吹き抜けただけだった……」
 ……ではないけれど、つわりというのはそんな風に終わるのだと思っていた。というか、終わってくれ! と願っていた。
 実際、私の場合はもう少し「じょじょに」という感じで、地面にしみこんだ雨が乾いていくだとか、窓の中央にはりついていたカタツムリが跡だけ残して気づけば視界からいなくなっていたとかのように、だんだん引いて、きれいさっぱり無くなった。
 具体的には、妊娠14週。三月のあたまごろには、春の訪れとともにすっかり元気になっていた。それまで二ヶ月の鬱憤をはらすかのように、色々食べた。

 

 まずは、オムライス。ロイヤルホストで食べて、翌週デニーズでも食べた。「サラダもつけていい?」とだんなに聞くと「またオムライス……?」といぶかりつつも、いいよいいよなんでも食べな、と言ってくれて、めちゃくちゃ幸せな気分でにこにこした。
 カレーも食べた。インドのカレー、スリランカのカレー、ネパールのカレー……家の近所を練り歩いた。日本のカレーは家で作って、刺激物はよくないとか言われているけれど、まったく気にせずもりもり食べた。カレーを食べると、スパイスの効用か、必ずお通じがとても良くなるだんながとてもうらやましかったのだが、「いいなあ……」とぼやく私(あいかわらず便秘)の横で、「出しすぎて尻穴が痛い」とよく腰をさすっていた。

 

 驚くほど食欲が増したわけではなかったが、順調に体重も増えた。つわりのあいだに3キロくらい減ってしまっていたのだが、それはあっという間に取り返し、そこから先もみるみる増えた。
 さすがに四週で3キロ超増やしたときには、ゴールデンウイーク前だったこともあって、先生に「お休み中食べ過ぎないようにね……?」とくぎを差されてしまったけれど、休み中には四国に旅行に行く計画を立てていたから、そういうわけにはいかなかった。
 カツオのたたきに四万十のうなぎ。道後温泉ではありとあらゆる柑橘系の甘味をあじわい、まあ順調に肥えたけれど、おいしいものがおいしく食べられることが、それまでのつらさもあいまって、心底幸せだった。

 

 さて、こぶたのほうも順調に育っていた。健診でしか成長を確認できない期間はひたすら不安だったのだが、胎動を感じられる時期も、少しずつ近づいていた。
 初めて、びくん、とお腹が揺れたのはたしか19週ころ。仰向けで寝ながら下腹部に手のひらを当てていると、ほんのわずかだけど、振動が感じられたのだ。
「ねえ……今、動いた気がする」
「ほんと?」
 だんなの手のひらもあててみた。
「うん、今、動いた。でも正直こぶたなのか君の呼吸かわからないよ……」
 しかし、その「気がする」という感覚は、日ごとに強さを増していって、ちょうど健診に行っても「そろそろ胎動がわかるでしょう」と言われたこともあって、はっきりとした確信に変わった。
 それからは楽しくて嬉しくて、暇さえあればお腹に手をあてていた。キックゲームとまではいかなかったけれど、しばらく動いてないななんてときにお腹をポンポンと叩いてみると、よくドコドコッと返事がかえってきた。
 だんなはそんな私のようすを見ながら、よく「あんまりお腹を叩いちゃかわいそうだよ」と言っていた。あんまり、お腹にむかって話しかけるというのは苦手だったので、ぽこぽこ叩き合ってコミュニケーションが取れている感じ、というのは楽しかったから、そういわれてもしばらくはそんなことばかりしていた。

 

 この時期は、友達の結婚式に呼ばれてひょこひょこ顔を出したり、旅行に行ったり、自分の誕生日だったので遠くまでお寿司を食べにいったり、いろいろしていた。
 あ、東京ディズニーシーにも行った。ちょうど6ヶ月に入ったばかりのころだった。
 5月といえど暑すぎない陽気の日で、朝は早すぎないよう家を出て、乗り換え駅でも走らず、母子手帳は忘れずに荷物は最低限。いつも一緒にいく友人四人と現地で待ち合わせ、おいしいものを食べたり安全なアトラクションに乗ったりして、一日楽しく過ごした。
 妊婦だと乗れるアトラクションが少なくなってしまうので、今まで行ったことのないところにも行ってみた。ビッグバンドビートの抽選に運良く当たったが、懐かしい曲ばかり流れ、ちょっと泣きそうになった。高校時代はブラスバンドをやっていたので。あと、いまだに行列絶えないトイ・ストーリー・マニア! にも無事乗れたが、利き手で撃つと激しく疲れるので「利き手で操作、反対で射撃」というのがベストポジションだと判明した(これは妊娠あんまり関係ない)。
 一緒にきてくれた友達には少し物足りない思いをさせてしまったかもしれないが、さいわい絶叫系が苦手な子もいたので、時には二手にわかれながら、朝の八時から夜の九時過ぎまで満喫した。お腹が張って苦しくなることもなく、疲れて調子が悪くなることもなく、無事に乗り込んだ帰りのバス(横浜駅までの直行便、とても快適で好き)では、ほっとして少しうとうとしてしまった。

 

 ふかふかの座席にこしかけ、窓の外の夜景を眺める。
 園内を駆け回るたくさんの子供たちを思い出しながら、自分もいつかはこんな風に、家族で遊園地にきたりするのだろうか? と想像した。私はだんなと東京ディズニーリゾートに行ったことがない。実家の家族とはある。弟たちが、まだ小さかったころに。
 当時はディズニーシーができたばかりだった。一般オープン前の関係者招待か何かのときに訪れ、死ぬほど混んでおり、死ぬほど暑い夏の日だった。あまりアトラクションにも乗れなかったけれど、楽しい一日だったなあとは覚えている。アルバムをめくれば、その日家族で撮った写真も残っている。
 しかし、何より印象的だったのは、園内の建造物に対する双子の弟たちの反応だった。
 入場すると、目前に広がる夢の世界。少し進めば自然を模した造作物も数多い。彼らはそれを見て、ぱあっと笑顔になって、一目散に駆け寄った。そして熱されたコンクリート製の岩に触れ……心底悲しそうな顔をしたのだ。「本物じゃない……!」と。

 

「だから私あそこあんまり好きじゃないのよ。混んでるばっかりでさ。双子たちも言ってたじゃない、『本物じゃない!』って」
 夢の国に行ってくるよ、と報告したときの母の反応は、おおむねこんな感じである。私は気にせず、意気揚々と出かけていくのだが。
 混んでいたって、まがいものだっていいじゃないか。そう思ってしまう。
 閑散としたさびしさより、人がたくさんいて、みんなが笑顔で、なにかわくわくしていて、疲れることすら満足で……そんな空間を心底快適だと感じるときがある。
 たまには、泣いていたり、つまらなそうにしていたり、嫌そうな人がいてもいい。空気が、楽しみをまとったざわめきで満ちていれば、それがいい。
 たくさんの人が幸せそうにしているその中で……私の幸せはどこだろう? そんなふうに探し求める、楽しさ。答えなどでる前に、溢れ出てしまう笑顔。

 

 家もできればそんな風がいい、なんて考えたりもする。
 物心ついたころから、家は人がたくさんいる場所だった。家族だけでも六人だし、途中から祖父母と同居したし、叔父一家が長期滞在することも多かったし、自分一人のスペースというのはあまりなくて、いつもどこかに誰かの気配があった。
 家は安心と落ち着きの場所だけれど、誰もがいつでも快適に幸せにしているわけではなくて、時にはやはり、悩みや怒りや痛みがあったりした。
 それでも、家が好きだった。どうしようもなく寂しくなって、一人のベッドでわけもなく枕を濡らした日ですら好きだった。その類いの寂しさは、だんなと出会って一緒に暮らすようになって、少しずつ質量を減らしていった。そうできたのも、あの家で二十年ちかく暮らしてこれたからだろうなあと思う。
 自分には、自分たちには、そんな家が作れるだろうか。
 少しだけ膨れたお腹にてのひらを当てながら、毎日そんなことばかり考えていた。今は借りている2DKの狭い部屋も、二人でちょうどぴったりのサイズ。
 これからは、どんな風に変わっていくだろうか。

 

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