みことの日記

2015年8月長男、2017年9月次男 育児の記録

16 入院中

 日曜日の昼にこぶたが生まれ、その日は来客の対応やもろもろの検査や初めての授乳なんかに追われていたらあっという間に夜になってしまった。身体中が痛い。骨がみしみしいう感じ。
 がっつり会陰は切られた私であったが、それはそこまで痛くなかった。円座がなくても意外と普通にひょいひょい座れる。痛かったのは、恥骨周辺の骨全体。うまくはまってない感じがして、分解してバラバラになっちゃうんじゃ? みたいなこわい感覚があった。
 あと、予想していなかったのだけど、立ちくらみがひどかった。いきなり立ち上がると、ふおう! となりそうになる。あとから母子手帳を見てみたら、なんと750ミリも出血していた(といっても量の感覚よくわからないんだけどとりあえず「出血多量」に丸がついてた)。貧血気味だねーってことで、そういえばその日は点滴も受けたっけなあ。
 ともかく夜だ。
 生まれる前からもらったアドバイスをもとに(いわく初日は思った以上に疲れてるから赤ちゃん預けてゆっくり寝な!)、その日はためらいもなくこぶたを新生児室に預けた。そして泥のように眠った。目が冴えて興奮していたけど、寝てしまったら深かった。
 でも、翌朝は早々に目が覚めてしまった。たぶん、五時にもなっていなかった。一時間ぼうっとして、そして待ちきれなくて、薄暗い廊下をこぶたを迎えに行った。
 授乳室では私もいつかこうなるだろう親子が、寄り添って、二人だけの時間を過ごしていた。数時間ぶりに会うこぶたは、真っ白な産着に包まれて、寝息が聞こえそうな穏やかな顔でよく寝ていて、とても小さかった。
 何度も頭をなでて、ほっぺたをすべすべさすって、ちっぽけなのに完成されている手をぎゅっと握った。そうして、一緒に病室に戻った。

 

 母子同室の一日は、とにもかくにも抱っこと授乳とオムツ替えで過ぎていく。
「三時間に一回は授乳してくださいね。母乳はもっと吸わせていいです。授乳の前にオムツをチェックすること」
 というわけで、泣いたらオムツ、そして抱っこ、さらに泣くのでおっぱい、それでも泣き叫ぶのでナースコールでミルク、という一連の流れができあがった。ミルクは、お願いすると調乳済みで持ってきてもらえるのだ。
「この子はおっきいからねえ……ミルクけっこう足しても大丈夫ね」
 最初は全く母乳が出ず、初日の深夜に五ミリリットル飲ませてもらったミルクは、二日後にあっという間に一回五十ミリリットルまで増えた。十倍だ。
 たくさん飲むのでオムツもしょっちゅう替えた。便秘も無縁。男の子あるあるの、オムツ替えの最中にぴゅーっと引っ掛けられるというのもほんの数日の間に経験した。衝撃だった(そしてすぐに慣れた)。
 こぶたは最初、全然目が開いていなかった。目やにが多いせいかぴっちり閉じていて、なかなか開けてくれない。寝ているか、泣いているか、ミルクを飲んでいるか。それしかしてくれないのに、驚くほどかわいくて、おそろしいほど愛しかった。
 産後の不安定さもあいまって、ふとした瞬間ものすごい泣きたくなった。こぶたと二人で、真っ白な部屋の中。明日がある。明後日がある。一週間後、一年後、そしてこの子が大人になった遠い未来がある。なのにそれは、か細い。道があまりに不確かすぎて見えない。もやの中をただよっているかのよう。
 ぼんやりとした不安の上で危ういバランスをとっていると、くっきり耳に届く音があった。授乳室に流れているオルゴールの音楽。大好きなレミオロメンの「蒼の世界」だった。

 空高く眺めれば 人は一人
 澄みきった孤独から優しさ掬って
 小さな温もりの中で涙こぼれる

 このままどこか知らない世界
 見つけてみないかい二人で

 こぶたはよっぽど雨男だったんだろう。生まれてから退院まで、きちんと晴れた日は一日もなくて、毎日あたたかいつめたい雨がしとしと降っていた。室内に閉じこもって、温度はわからない。
 流れるオルゴールのメロディを聞きながら、どうしてもこらえきれなくて目をぎゅっとつむった。言いようもなく悲しくて、信じられないくらい、あたたかかった。

 

 ところで、「新生児は寝てばかりいる」というのは、まぎれもない嘘っぱちであった。人がきていると大人しくしているこぶたは、その人が部屋を出て行ってしまうととたんに泣き出した。あるいは、私のご飯が運ばれてくると泣き出した。トイレにはいるタイミングを見計らうかのように、泣き出した。
 そのたび私は彼を抱っこし、揺らしてあやし、置いたら泣くのでそのまましばらく過ごした。入院している間にすっかり、抱きながら食事をとるのも慣れっこになった。
 また、二人で過ごした最初の夜(つまり生んだ翌日の夜)はきっちり三時間ごとしか目を覚まさなかったくせに、翌日からはみごとに三十分おきに泣いた。
「ひょっとして子育て、楽勝じゃ……」なんて期待はあっさり打ち砕かれ、ふらふらしながら乳を吸わせ抱っこでゆらゆらしミルクを足して添い寝を試して添い乳までフル動員させ、それでもダメだったので、まるで完敗の心地でナースコールし、こぶたをあずけたのだった。
 そして新生児室では、そのまま朝までぐっすりだったというのだから、本当に完敗以外のなにものでもない。

 

 そんなこんなで格闘しつつも、私の体のほうは順調に回復していった。あまりにデカい頭に圧迫されすぎたせいか、尿意がいつまでたっても戻ってこなかったのは若干不便だったけれど(自分のトイレまで時計とにらめっこで管理しなきゃならないなんて!)、逆に後ろのほうは、まるで人が変わったかのように快便だった。人生でこんなに快調だったことないってくらい。
 べろんべろんにたるんだお腹も、毎日少しずつ縮んでいき、体重は数日で七キロくらいあっさり落ちた。妊娠前まであと五キロ。(そんなに増えてたのか……)
 とはいえ、困ったこともいくつか。
 まず、お腹の妊娠線がひどすぎ。下腹全体に色素が沈着して黒っぽくなっていたので、白くなりかけの線が本当に目立った。逆に正中線は黒々とくっきり。しょうがないよなと思いつつ、鏡でみるたびけっこう悲しくなった。産後一ヶ月半現在、あまりよくならず。
 足のむくみはあっさりとれたが、相変わらずの手のむくみも。妊娠中にはずした結婚指輪が、はまるどころかだんなのがピッタリなレベル。朝起きたときの痛みがなくなったのはよかったけれど、結局産後一ヶ月過ぎまで指輪は付けられなかった。
 恥骨の違和感もいつまでもとれず。「床上げまでは安静に!」というのはなかなか真実で、ちょっと動きすぎたり頑張りすぎると、てきめんに恥骨にダメージがきた。退院してからもひょいひょい動きすぎてしまったせいか、一ヶ月を過ぎても同じ状態が続く。
 胸はあきらかにでかくなった。特に、母乳が出始めた産後四日目からみるみると。まあ、飛んだりはねたりもしないし、普通のブラジャーなんてまったく付けなくなったので、あまり困ってないけど。家ではノーブラ、外出時はブラカップ付きのキャミソールが定番となっている。これ、でもお腹と同じく、用済みになったら悲惨な見た目になるのかな……悲しいな……。

 

 なんだか、入院中の話からだいぶ逸れた気がする。
 入院中はとにかく来る助産師ごとに言われることがだいぶ違ったりして(特に母乳に関して)悩んだことも多かったし、産後ブルーでしょっちゅう涙がでてくるし、こぶたはかわいいしだんなは拗ねるし、眠いし眠いし、なのに妙なハイテンションで何とかなるといった具合だったけれど、毎食ごはんが出てくるのがありがたくて(義母がよく長距離飛行機大好きと言っている気持ちがわかった。毎食何もせずにご飯が出てくるのは最高だ)、とにかくこぶたと自分のことだけ考えていればよくて、とてもありがたい一時だった。
 二人ともとくに経過に問題はなく、あっさり退院も許可された。その日は久しぶりに晴れていた。
 入院中に二倍くらいに膨れ上がった荷物(お祝い品など)とこぶたを抱えて、玄関からタクシーに乗り込む。つい一週間前までお腹の中にいたのに、こうして私の腕で抱えられて、なにやら神妙な顔をしている。
 と思ったら、急に日がさしこんでこぶたの顔を照らした。生まれて初めて、まぶしそうに目をぎゅっとつむった。
 三人の生活が始まる。無事にこの子を、大きく育てていけるのだろうか。

 

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