14 出産(1)
なんの変哲もない土曜日だった。天気はさほどよくなく、だんなとその日いちにちなにをしてすごそうか、朝ごはんを食べながら話し合っていた。
「午前中はお散歩にいこう。そんで昼に食べるパン買ってこよう」
「いいね」
「夜は焼き肉食べたい」
「いいね!」
予定日二日前ではあったが、いまだ兆候なし。せめてもの……という感じで、ウォーキングと焼き肉(食べると陣痛がくるってジンクスありますよね)のメニューを
詰め込んだ。
朝ごはんも食べ終わり、あとは着替えて出かけるのみ。
……ところが、ふと、下半身に違和感。
「どうしよう、破水しちゃった」
「えっ!?」
トイレに入ってみると、念のためと思って付けていたナプキンがびっしょり薄桃色。
「どうするの? 病院? タクシー? 何したらいい?」
「量多くないからたぶん慌てないで平気……まず病院に電話して、きてくださいって言われたらタクシー呼ぶ。でも行くことになるだろうから、出かける準備してて」
私よりだんなのほうがわたわたしていた。病院に電話すると馴染みの助産師さんが出る。
「先ほど破水してしまい、電話しました」
「わかりました。お名前お願いします」
「紺みことです」
「やっぱり! 紺さんだと思いました!」
助産師さんいわく、声が特徴的だよ、と。そんなの今まで言われたことないけどなあと思いつつ、入院グッズを持って病院にくるよう言われ、電話を切る。
登録してあった陣痛タクシーに電話し、十分ほどで到着した車に乗り、病院へ向かった。
土曜日の病院は静かだった。守衛室には連絡が通っていたのか、お腹を抱えてよたよたと入って行っただけで「紺さんですね」と声をかけられる。
そのまま病棟に上がり、助産師診察へ。廊下にずらり並んだ待ち合いの椅子は円座である。産後はお尻ツライんだろうな。
リトマス紙のようなもので、破水かどうかのチェックを受けた。
「反応ありますね……破水ですね。子宮口は……まだかな」
時刻は正午前。その時点で若干、陣痛のような痛みも十分おきくらいにきていた。
さっそく病室に通され、入院生活の始まりとなった。
完全個室の病室で、入院着に着替えベッドにごろり。
「お昼まだですよね。今のうちに食べといたほうがいいですよ」
そういえばお腹がすいていた。病院のお昼ご飯は出ないので、だんなが外まで買いに行った。帰ってくると、なぜか手には大荷物。
「前から目を付けてたサンドイッチ屋がパン切れおこしてて、運がないなーと思いながら他のパン屋で買ってきたら、戻るときには復帰してて、思わずそっちでも買っちゃったよー」
「いいけど……さすがに多くない?」
ずらり並んだ二千円分のパンとサンドイッチ。しかし腹ぺこだったので、二人で半分ずつむしゃむしゃと食べてしまった。おいしかった。このことを、あとで若干後悔するのだが……まだ知らない。
と、だんながしゃべり出した。
「ところでさあ……ちょっとまずいことがあるんだけど」
「ん? なに?」
「ズボンが、破けちゃったんだ」
……嘘だろう? と思いながら見るとどっこい、股の部分が見事なまでに裂けている!
「これ……どうしよう?」
「やばいじゃん、もう外出れないじゃん」
「だよな……」
幸か不幸かズボンの色とお揃いだったトランクスが、それでも股からしっかりと顔をのぞかせていた。
アプリで陣痛感覚を計りながら次の展開を待っていると、なんとさっそく両親と弟たちが見舞いにきてくれた。強くなる陣痛の中、腰をさすってくれる母の手がありがたい。
「そういえば、夫くんは?」
「さっきズボンの股が裂けちゃったから、ユニクロに新しいの買いに行った」
「なんだそりゃ!」
検査を受けたり人と話していると、あっという間に時間は過ぎて、夕方になると晩御飯が運ばれてきた。
「食べれそうですか?」
「はい、たぶん」
この時点では、もちろん完食のつもり。
しかし、白飯を一口食べたところで嫌な予感。そして懐かしさすらおぼえる吐き気……トイレまで間に合わなくて、部屋の水道でもどしてしまった。
ちょうど、家族もだんなも部屋にいなかったタイミングだったのが幸いだが、なんと、水道が詰まってしまって流れない(汚い話でごめんなさい)。
慌ててナースコールするが……そうですよね、助産師さんって、水道流す専門家じゃないですよね! しばらくにっちもさっちもいかなくて、相当ご迷惑をかけてしまった。
「次からこっちに吐いてくださいねー」
トレイをいただき、その後晩御飯は一口も食べられなかったにも関わらず、やっぱり何度か戻してしまった。
さて、長い夜が始まった。
日勤の助産師さんは「今日中には産まれそうですよー」と言って明るく去っていったが、全くそんな素振りなし。間隔も縮まらないのに、痛みばかりが強くなる。
「まだ力入れちゃだめ! 赤ちゃんしんどいよ! 力抜いて!」
「お小水行った? 早く行っといて!」
「力入っちゃってるよ! 息大きく吸って!」
耐えられる痛みだったのが、だんだんお腹の内側を搾り切られるように、耐えられなくなっていく。なんとか痛みを逃そうとするのだが、その動作がどうしても力んでしまい、赤ちゃんにとって苦痛になっているらしい。機械から聞こえてくる心音がどんどん微弱になる。
「自分が苦しくてもこぶたのためなら!」思おうとはするが、それより「お願いだから解放してくださいしんどいんですってかムリムリこれ以上痛くなったらほんと無理」、それしか考えられない。
横で聞いているだんなも、ひたすらしんどかったろう。というか、どうしようもなかっただろう。
時刻はどんどん真夜中に近づいていき、それでも子宮口は数センチも開かない。
「なんか、もうこれ、明日の朝仕切り直し、とかのがいいかも……」
助産師さんも同じことを思ったのか、痛みのがしに四つん這いの姿勢になるといいですよ、と教えてくれる。(逃してしまうと出産になかなかつながらないらしい?)
言われてやってみると、たしかに少しだけ楽である。
というわけで、深夜から早朝までの数時間、以下のような繰り返しで乗り切った。
1 陣痛がくる。
2「痛いよー!!」と泣き叫ぶ。
3 ソファーで仮眠していただんながビクッと飛び起きる。
4 私、仰向けに寝ていた身体をひっくり返し、四つん這いになる。
5 真上に突き出したお尻をぐるぐるぐるぐる回す。だんなにその間腰をさすっていてもらう。
6 痛みが引いていく。姿勢を元に戻し、また寝る。
7 再度陣痛がくる。時計を見る。さっきから十分しか経っていない。朝が遠い……
怪しすぎる格好は承知のうえで、四つん這い+お尻ぐるぐるのコンボじゃなければ乗り切れない痛さだった。あと、痛いよー! って叫ぶのも。
そういえば、夕方吐瀉物で部屋の水道を詰まらせた私だが、その数時間後にはなぜかトイレも詰まらせてしまい(「お小水行ってね!」と言われてトイレに入ったら、なぜか床が水浸しだったのでした)、夜中は「陣痛室」と呼ばれる別部屋に移動させられていた。元の部屋にはソファーがなかったがこちらにはあったので、だんなが寝転がれてありがたかった。
何十回、いや何百回にも感じられた陣痛のがしを繰り返すうち、しだいに窓の外が白んできた。朝がくるのだった。
「母さん、『明日10時の面会では赤ちゃんに会えるね!』って言いながら帰ってったけど、これきっと、会えないよなあ……?」
猛烈に眠いような、奇妙に覚醒したような頭で、そんなことを考えていた。
そうこうしているうちにまた次の陣痛がきてしまい、私はヒイヒイ言って、すっかり疲れきっただんなに泣きながら助けを求めるのだった。
(「15 出産(2)」に続く。)
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