12 妊娠後期
めでたく産休にも入り、みるみるお腹は大きくなり、そして日増しに暑くなっていた。夏だった。
「休みに入ったらやろう!」と思っていたリストがけっこうあって、7月はそれをこなすのに追われた。
まずは、部屋の掃除と片付け。
そもそも、つわりの時期からしばらく、一人で洗濯するのすらしんどい状況だった。洗濯機を回すまではいいのだが、手を上にあげて干す動作だとか、濡れて重い洗濯物が山ほどつるされたピンチをベランダまで運ぶだとかがめちゃくちゃつらく、なるべくだんながいるときにやっていた。
しかし、もう元気なのだ。トイレマットもバスマットもタオルケットもシーツも布団も、家中の布という布を日替わりで洗い、干し、たたんだ。
床も隅から隅まで掃除機をかけ、風呂にはえていたカビもハイターを使って抹殺した。押し入れを覗き、いらないあれやこれやを捨て、自分の洋服も整理した。
ようやくそこらへんまでして、ふうと一息つけた。ずいぶん部屋はきれいになったが、メガネをかけないと視力がずいぶん悪いだんなは成果に一ミリも気づいてくれなくて、そのことが少しだけ悲しかった。
合間をぬうように、実家に帰ったり、友人に会ってみたりもした。
長年エアコンがなかった我が実家だが、数年前(とかいってもう十年以上経ってるかも)にようやくめでたく設置されたので、今年の夏もフル稼働。特にすることもないので座って本を読んでばかりいたら、足がむくんでひどいことになった。
友人も、家に招いてみたり実家の近所で会ったりいろいろと。出産経験者はいないので、なんだか自分が話してばかりいた気もするが、普段団体でしか会わないような友人も二人で話が久しぶりにできて、とても楽しかった。
また、保育園を探しにいった。できればインターネットで全てを終わらせたい……と思ったのだがさすがお役所、そういうわけにもいかず(もしかしたら電話まで駆使すれば何とかなったかもしれない)、まずは汗をかきかき区役所の担当課まで資料をもらいにいった。
もらった一覧表を見て、家から通いやすい箇所を十カ所ほどピックアップし、見学にいけるかの電話をかけた。「いつでもどうぞ」もあれば「○日の△時にきてください」も、「説明会を□月に予定してますのでまた後日」もあって、園によって様々だった。
何ヶ所か行けるところに予約を取って、気温三十度超えにひいこらいいながら、日替わりで見学に行った。
ようやく最後の一カ所を終え、「出産がんばってくださいね」と女性の園長さんに優しく送り出されるころには、カレンダーは一枚めくられて、ついに8月になっていた。
いよいよ臨月だった。そして、正産期にも入った。こぶたは三キロ近くまで巨大化していた。
「あら、もうすぐかしらー」
「いえいえ、あと1ヶ月くらいあるんです」
こんなやり取りも、しすぎて慣れた。というか数ヶ月前からしていた気がする。ウエストはとっくに一メートルを超えているのだ。
「乳首マッサージを始めてくださいね。あとウォーキングと拭き掃除。スクワットもいいわね」
健診のたびに見てくれる助産師が違い、アドバイスも微妙に違っていたりするのだが、運動もしくは家事をがんばるように! というのは欠かさず言われた。
とはいえ、連日熱中症での緊急搬送のニュースが続くような気候だ。最低限の用事以外で外にでる気になどとうていなれない。
しかたなく、家中を拭いてまわり、スクワットを毎日数十回ずつ行うことにし、ついでになんだかフェイスラインが丸みを帯びてきたので舌回し運動を取り入れ、毎週病院でやっているマタニティヨガ教室に通った。
拭き掃除は早々に終わった。なんせ、家が狭いのだ。こぶたが這いずるようになったら毎日せなあかんのかもしれないが、今のところその必要はなさそう。っていうかクイックルワイパーでよさそう。
スクワットは、いろいろ調べて「スモウスクワット」という方式でやっていたが、こぶたの重みのせいかたまに膝が痛くなったので、普通の形(ただし太ももが地面と平行になるまで)も取り入れたりした。
最初は十回で筋肉痛になっていたけど、数日で慣れた。そして体重が減って、めちゃくちゃお腹がすくようになった。
そして、ついにか……と思いつつ、乳首マッサージも始めた。ところが、これはあんまりよろしくなかった。
なんというか、自分で自分の乳首をこねくり回していると、絶妙に……「不安定な気分」になってしまうのだ。
川上未映子さんが、『きみは赤ちゃん』のなかで「第二次性徴期をむかえたころの9歳の自分と行ったりきたり」とその感覚について描写していたけれど、まさしくそんな感じだった。初潮がいつきたかとか、どんな風だったかすら全く記憶にない、女性性についてわりと鈍感な私だけれど、乳首マッサージをしているときの感覚に似たものがあるのは確かにわかり、それは猛烈に不安定な感じだった。
だから、やらなきゃいかんとは分かっていたけれど、なかなか指がすすまない……。早く産むための子宮収縮効果もあると聞いたのに、ちっとも子宮に効いている感じがしないし。
まあ、そんなわけで、乳首マッサージはサボり気味だった。そして、このことで出産後に少々後悔したりもしたのだった。
(陣痛が)今日くるか、今日もこないか、とやきもきする日は、しばらく続いた。なにしろ兆候だけはやまほどあったのだ。
まずは、前駆陣痛。38週頃から、お腹がぎゅーっと絞られるような張りが、夜になると不規則にやってきていた。痛みはないのだけど、ぱつんぱつんに張っている感じ。陣痛アプリをいれてはかってみると、三十分おきくらいにきてたりもする。しかし、そのまま寝て翌朝起きてみると、ぴったり治まっている、というのが続き、なかなか本陣痛にはつながらなかった。
そして、食欲。こぶたが重みで下がってきたのか、胃袋がすっきりして食欲が増した。ご飯を食べ、おやつを食べ、だんなのぶんまで食べ、足りなくてコンビニに駆け込んだ。そのくせ、健診に行ってみると、
「うーん。赤ちゃんまだ下がってないねえ」
という調子で、下がるとはいったい……と悶々とした。
そして便通。39週すぎたあたりで、なぜかそれまでの便秘が一気に解消した。一日に何度もトイレにいき、そのたび割と成果が得られるので、どれだけため込んでたんだ? と怖くなること少々。便通の変化も出産直前の兆候だと聞いていたのでわくわくするが、一方、おりものに血が混じるような、おしるしのたぐいは一切なかった。
暑い! 重い! 会いたいから早く出てこい!
正産期に入ってから、毎日そんなことばかり考えており、だんなとも、
「いつ来てくれるかねえ」
「早く会いたいねえ」
とそんな話ばかりしていたのだが、そうこうしているうちに気候はだいぶ涼しく過ごしやすくなってきていた。一日付けっぱなしにしていたクーラーも、ほとんど稼働させずにいられるくらい。
なんか、そうなってくると、早くこいこい祈るのも疲れてしまって、「産まれたら大変らしいんだから、どうせなら遅くきてくれたほうがいいのかも……」みたいな思考に変わりつつあった。
すると、なぜか「時間があるなら勉強でもしなきゃ」観念に猛烈にかられ、私は予定日を目前に、受ける予定のないTOEICの勉強に励むこととなった。
健診に行くと、
「まだ子宮口開いてませんね。赤ちゃんも下りてきてないね。大きめだけど3400gくらいだから平気かな」と、立派に「まだまだ」診断をくだされた。
だんなだけは「ここで産まれてくれないとこまる!」と言って、予定日から三日間の夏休みを取っていた。
そうこうしていた、8月29日。予定日前々日の朝だった。
それは、唐突にやってきた。
(「14 出産(1)」に続く。)
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