みことの日記

2015年8月長男、2017年9月次男 育児の記録

6 性別と名前

 はた目にもお腹の膨らみがわかってくるようになってから、妊娠について会話をすると、きまって聞かれる質問があった。
「もうどっちだかわかってるの?」
 そう、性別の話である。
 個人的には「男と女なんてそんな明確に区分されうるものであるのか?」なんて常日頃考えてしまうようなたちだし、もっとグラデーションみたいにいろんな性のあり方が許容されたっていいのにな、と思っているので、生まれてくる子供の性別について聞かれると多少身構えてしまうところがある。また、「どっちなんですよ」と白黒つけて答えることに躊躇を覚えたりする。
 とはいっても、見た目上どちらかに決まって生まれてくるのは事実であるし、住民票にだっていやおうなしに性別は記載されてしまう。
 ……のだし、実際、「どっちかなあ」と思いながらわくわく過ごす日々は、誠に勝手ながら、楽しくもあるのだった。

 

 妊娠当初は、なんの根拠もなしに、女の子が生まれてくるような気がしていた。
 根拠がないと言っても、育てやすい、と聞いたこともそうだし、自分が長女として生まれ育ったこともそうだろう。何となく、自分と同じ境遇の子を育てるんだ! 同じ轍は踏ませやしないぞ!(とくに失敗だらけの人生だったわけでもないんだけどね)と考えていた。
 しかし、人に言われるのは違うんだよね。いちばん最初に妊娠を伝えた友人(保育士である)には、「男の子な気がするなあ」と言われ、親戚には、「あのだんななら男だ」と断言され、職場の人たちには、こちらが何かを伝える前から、「やっぱり男の子なのー?」と聞かれた。あまりに「やっぱり」といわれるものだから、なにが「やっぱり」なのかすら、聞けずじまい。
 そんなふうに言われているうちに、こっちも男の子の気分になってくるのですよね。単純だから!……気づけば、インターネットでベビー用品をさがすにも「男の子向け」とかいてあるページを開いていたり、「男の子はおむつ替えのときよくピューッと飛ばされるので注意」みたいな体験談を、「なるほど、気をつけねば……」と、心底覚悟しながら読んでいたりした。

 

 しかし、実際の性別はなかなかわからないのであった。
 早い人だと13~14週くらいから判明することもある、と聞いた私は、その頃の検診からことあるごとに「どっちですかねー?」と先生に聞き、そのたび「まだちょっとわかんないわねえ」とあっさり答えられていた。しかし、最初は「そうですよね!」と明るく返事をしていたのだが、それから、いつまで経っても、わからないのである。
 17週、21週、25週。
 インターネットで人様のエコー写真を覗き見たり、「性別 判明 いつ」で検索をかける日々が続いた。職場の先輩パパママたちにも、色々聞いてみた。
「女の子も三人目になると、自分でエコー見てわかっちゃうのよね。告げられる前から、あら、また女の子だわー! って」
「聞いてないのに先生が『男の子だねー』って教えてくれちゃって! 女の子が欲しかったからその日はいちにちショックでしたよ」
「女の子だと思ってたから出てきたの見て驚いちゃってさあ!」「……性別、聞いてたんですか?」「んーん、聞いてない。思いこんでた」
 性別判明ひとつでも、そこには赤ちゃんの数だけ、ドラマがあるようだった。
 そして私はといえば、ようやくようやく、29週のときに「男の子っぽい、かなあ?」と先生に言ってもらえたのだった。足の間に、何かもっこりしたものが映っているような感じだ、とかなんとかなふうで。

 

「ほう、男の子のこぶたか……」
「なるほど……」
 だんなと二人、感嘆とも嘆息ともつかない息を吐いた。なかなか、実感はわかない。
「どっちに似るかな?」
「おれに似たら大変だ」
 なんせ、幼い頃のだんなのやんちゃっぷりを本人や義母に語らせると、こちらの肝がひやひやするくらいなのである。
「大丈夫だよ、男の子だと女親に似るっていうし」
「だといいけどな」
 願わくば、良いところばかり持っていってもらいたいところだが。
「それより、名前……」
「名前、考えないとねえ……」

 

 名前。名前をつけるために、世の中の父母たちは、あるいは祖父母たちは、名付け親たちは、いったいどれだけの苦労をしてきたのだろう。だって、こんなに重大なものってそんなにない。改名なんて、生半可な理由じゃ許されることではないし、一生身にまとってあるいていく必要がある。
 呼びにくいと困るかな。漢字が書きづらいと面倒かな。古風だとからかわれるかな。新しすぎても非難されるよな。変な語呂合わせにならないように気をつけないといけないな。
 つけたい名前もなかなか思いつかないのに、制約だけは山のように押し寄せてくるのである。ああ……プレッシャー。
 そんな風に自分が悩んでみると、世の中のすべての「名前」が、とても尊いものに思えてくるのだった。
 きっとみんな、たくさん悩んで名付けたんだろう。もしかしたら、悩まなかったかもしれない。でもそれはそれで、素晴らしいことじゃないか。だって「この名前にする!」という決断は、間違いなく存在したのだから。由来が安直だってかまわない。むしろ、意味なんて込められてなくたって、その名前がその人に名付けられた、その事実だけで尊い。
 ……考えるうちに、そのような、わけのわからない感情が胸の中を去来するのだった。あることについて悩む、ということは、そのことについて自分の視野だとか心を、広くすることなのだ。

 

 ところで、我がだんなには憧れの名前があった。名前だけじゃない、名字も備えたフルネームである。
「白鳥優一」というらしい。その名前として生きてみたかった、のいうのは(あまり酒を飲まない彼の)酔っ払ったときの口癖であった。
「じゃあ、息子が生まれたら、『優一』って名前がいいかな?」
「いや、名字が白鳥じゃないからダメだよ」
 正直、なぜシラトリでもってユウイチが良いのか、全くもって謎すぎるのである。そんな名前だったらだんなの人生はどう変わったというのか? バイトが長続きしたり、絶壁頭に悩まされずに済んだり、はたまた宝くじが当たったりしたのだろうか?
「じゃあ、どんなのがよいと思う?」
「そうだなあ。じゃあさ、この中からだったらどれがいい? おれは一番『うじやす』推しなんだけど!」
 そういって、嬉々としてだんなが見せてきたのは、命名事典でもネットの名付けサイトでもなかった。
 ……時政から始まる、北条一族の名前一覧であった。

 

 しかし、さすがに候補が北条氏ばかりじゃまずかろう、と考えた私は、自分では名前を思いつかないので、いろんな人に「いい名前はないか?」と尋ねてみることにした。

 

・職場の同期 Aくんの場合
「黄色い熊で、黄熊(ぷう)はどうかな? 最近、そういうの流行ってるんだろ?」

 

・職場の上司 Bさんの場合
「うちの娘はね、上の子のときは妻が『ひーちゃん』って呼べる名前にしたいというので、こんな候補の中からこんな読みを……中略……普通は使わない読みだけどそれをこうして……中略……明るく元気な子に育ってほしいという願いを……中略……それで下の子は……以下略」

 

・職場の先輩 Cさん(馬好き)の場合
「男の子なの? 駿馬の『駿』あげるよ。うち女の子で使えなかったからさ」

 

・友人 D子の場合
「『かなた』くんはどう? 『たなかかなた』で上から読んでも下から読んでも山本山スタイルになれるよ☆」
※本名は田中じゃないです

 

 結論、他人は人の子の名前に責任をもってくれない(あたりまえです)。頭ひねって自分で考えろ、ということですね。

 

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