みことの日記

2015年8月長男、2017年9月次男 育児の記録

5 妊娠初期

 黒ゴマちゃんが心臓をぴくぴく震わせはじめてからしばらく。妊婦検診は四週に一度のペースだった。これを待つのが非常に、ひじょうに長くてしんどかった。
 だってお腹はぺったんこ。もちろん胎動なんて感じられない。かろうじて「つわり」という兆候はあるけれど、調べたら「流産していてもつわりが続く場合があります」とか書いてあるじゃありませんか。
 本当に黒ゴマちゃん、もとい「こぶた」は生きているんだろうか。(妊娠後しばらくしてから私とだんなは赤ちゃんを「こぶた」と呼んでいました。)私のお腹のなかに貼りついて、きちんと大きくなってるんだろうか。何かの拍子に、夢みたいに消滅しちゃったりしてないんだろうか。
 気持ち悪さと不安の1ヶ月。毎月待つのがしんどくて、あと体調も心配で、やれお腹が痛いとか、お腹が固いとか言っては、四週待たずに受診していた。
 だいたい「こんなんが心配で~」と診察台に座ると、先生が「今が一番しんどいねー」と言いながらお腹をポンポン叩いてくれて、「うわっすごい音。これは便秘のほうだね」とやってくれるのが常だった。ただの便秘だときくと私はちょっとだけほっとし、「がんばります!」とか訳の分からない宣言をしながら、ビオフェルミンを処方してもらって家に帰った。
 なお、便秘だけは、妊娠後期になってもなかなかよくならず、おまけに途中からは貧血気味で鉄剤なんて飲み始めちゃったもんだから(鉄剤は便秘を引き起こしやすいらしい)、最後まで苦しめられることとなった。

 

 検診は、毎回エコーを見られるのがとても楽しみで嬉しかった。思えば体長数センチの頃がいちばんかわいかったように思う。(もちろん、出てきてしまえば言うまでもないのだろうけど!)
 まんまるな頭に、まんまるなからだ。まんまるなお手手とあんよがぬいぐるみみたいにくっついて、心臓をぴこぴこさせながら、ぶんぶん振り回している。最初からよく動く、とても元気な赤ん坊だった。
「うごいてるねー。かわいいねー」
 女の先生はパキパキ診察しながらも毎回かわいいかわいい言ってくれて、私はもう、見てるだけでもかわいいのだけれど、その言葉を聞くたびになんだか泣きそうになっていた。
 だんなも何回目かの検診で休みをとって付き添ってくれ、その日はたまたまこぶたはおとなしく寝ていたようすだったのだが、
「あれ、全然動いてないじゃん」
 なんてだんなが言った瞬間、ぴこっと身体を震わせ、こちらに向かってこんにちはするみたいにお手手を振ってくれたので、二人でとても感動してしまった。

 

 さて、その頃の私の生活といえば。
 朝、目覚ましがなり、目をばちりとこじ開ける。
 気持ち悪さ、身体のこわばり、布団の外の寒さを確認する。起きようとするが、身体はぴくりとも動かない。
 だんなの目覚ましがなる。もぞもぞ動く隣の布団に「もうちょっと寝る。ごはん先食べてて。ゴミだけ出してくれるとうれしい」など、必要事項を伝える。だんなは「わかった」とこたえ、ずるずる起床した気配がある。
 一眠り後、だんなの出勤時に再度目を覚ます。起きれそうか、仕事に行けそうか、もう少し寝るか、何時間寝るか判断し、リーダーにLINEで出勤予定を伝える。(まいにち遅刻の電話をしていた私の通話料金を気にしてくださったのか、途中から「LINEでいいわよー!」と言われた。とてもありがたかった。)
 仕事に行けそうなら仕事に行く。ゾンビのような死にかけの顔で最低限の必要事項を済ませ、終業時刻をいまかいまかと待つ。無理なら、一日飲んだり吐いたりしながら寝て過ごす。
 仕事に行ければ、その日食べられそうなものを食べたり買ったりして帰る。りんご、とか、ウィダーインゼリー、とか、モスバーガーとかバッテラ寿司とか毎日いろいろだった。
 帰りの遅いだんなに「食べるものはない」とメールする。
 早めに布団に入り気分のいい体勢(そんなものは存在しない)を探しながら、ごろごろする。だんなが帰ってくる。寝る。
 ふりだしに戻る。

 

 あまりに、朝起きられない日が続くと、「私はすでに妊婦でもなんでもなくただの怠け癖がついた巨大な塊と化してしまったのではないか?」などというひどい被害妄想? にさいなまれた。あるいは、せっかく仕事に行けても、頭が回らない・億劫すぎて書類を取りに行けない・退勤のことしか考えられない、の三連コンボをぶちかまされると、「私はもう一生まともな社会人には戻れないのではないか……?」と、ひたすらマイナス思考に陥った。
 一人でいてもそんな調子だったが、だんなといてもひどい精神状態だった。
 なんせ、何もかもがおいしく食べられない。一口めはよくても、少し食べ続けると吐き気がしてくる。もしくは、そもそも砂とか布を噛むような心地。
「栄養摂らなきゃ!」と「もう何も食べたくない」の狭間で長い時間悶々とし、白米やらパスタやらむしゃむしゃむさぼるだんなの横で、「おいしいものをおいしく食べたい……」とうつむいては泣いていた。迷惑至極な話だ。
 たまに、休日になると気分が少しましになり、「冷凍ラーメンたべたい」とか「コロッケたべたい」とかだんなに言っては買ってきてもらっていたのだが、やっぱり「食べたい」と「吐かない」のあいだには大きすぎる隔たりがあって、結局トイレでげろげろやっては「もったいない……作ってくれたどこかの誰かにも買ってきてくれただんなにも申しわけない……」と落ち込む日々だった。

 

 実家の親やきょうだい、義実家には、妊娠が発覚してすぐに、正月で帰省した(というほど遠くはない。せいぜい、遊びに行った)こともあり「赤ちゃん産まれます!」と伝えていた。両方にとって初孫である。
 うちの母は「ひとりなら大丈夫。双子でさえなきゃ、大丈夫!」といった調子で(三人目をつくろうとしたら双子でやむなく四人姉弟になった、というのがうちの家族です)、頼りになるやらならないやらよくわからなかったのだが、だんなによると、義父母はけっこう懐かしそうに、妊娠当時を語ってくれたとのこと。
「母さんは全然つわりとかなかったよなあ?」
「なに言ってるのよ。ずーっと吐いてて大変だったのよ! これだからお父さんは……(くだくだ)」
 義父は、明るくほがらかな酒飲みでおしゃべり好きの人なのだが、どうにも仕事人間でがんこな一面もあり、なんとも家庭に無頓着だったり空気が読めなかったりすることも多いらしい。
 よく、だんながそんな義父のエピソードとして語るのが、「父が母の料理をほめるとだいたいそれが伊勢丹で買ってきたお惣菜で、きまって母の機嫌が悪くなった」、というもの。
「でもなあ、父さんの気持ちもちょっとわかるんだよなー。だいたい手料理って、味付けのバリエーションが決まってるというか、食べ慣れた味が多いから、たまに買ったお惣菜がでてくると『あれ? いつもと違う?』って反応したくなるんだよな」
 なるほど! と手を打ってはみるものの、それってひょっとして私の普段の料理にたいして思ってること?……なんて勘ぐってみたり。いや別にいいんですよ! 私だって買ってきたお惣菜だいすきだし、いいんですよ……!?

 

 そういえば、実家で暮らしている認知症の祖母も、妊娠を伝えるととても喜んでくれた。薬で進行を抑えてはいるものの、ごはんを食べたかだとか、今日どこにでかけるんだとか、だいぶ忘れっぽくなってしまった彼女だが、一度伝えた曾孫のことはしっかりはっきり覚えてくれて、実家に帰るたび私の手をさすっては「身体を大切にね」とにこにこしてくれた。
 多少ちぢんで、けれども私の何倍もすべらかなその手にふれるたび、早く赤ん坊をみせてあげたいなあと思うのだった。